配達人を極められるか?

先日Steamで購入したDEATH STRANDINGをプレイした。

まださわりの部分とは思うが

独立後のコジマプロダクション初のゲーム「DEATH STRANDING」を先日購入したが、早速プレイしてみる事にした。
まだ始めて3~4時間というところなので、これで本作を語るのは難しいとは思うが、感じた事を書いてみたい。

世界観は実に独特でありながら、その演出はとても映画的。ここらへん、小島監督が映画を意識している事がよくわかる部分で、演出で本作がとても優れている事は見た目にもよくわかる。
ただ、そうは言ってもゲームなので、ゲーム本来の面白さもなければ褒められたものではない。
ただ「歩く」という事をゲームにしてしまうアタリが、なんとも小島監督らしい。重い荷物を背負って歩く際、そのバランスが崩れてしまう事に、左右に踏ん張る事でバランスを取るという操作をプレイヤーに課す事で、ゲーム性を与えるという手法は実に小島監督らしい。
DEATH STRANDINGは、そうしたゲーム性の上に、小島監督が目指した映画的手法による演出と重厚なシナリオが合わさったタイトルと言えよう。
3~4時間プレイした段階だが、この世界における脅威というものがどういうものなのか、何を目指すべきなのかがストーリーでわかる様に示されているところも、作りの良さを感じる。
基本的には、配達人なので荷物を運ぶという事が主目的になるようだが、その荷物運びが生死を分けるような活動に直結している事も、最初のチュートリアルで何となく理解できた。
ようやくこれから主目的ミッションへ現在、第3章に突入して、ようやく本作の最終目的が見えてきたところまで進めた。
正直、第2章まではホントにチュートリアルという感じで、決められたレールの上を進んだだけである。ただ、この決められたレールで、基本的な動作の理解と、戦闘になっても勝つことのできない存在を知ることになるわけだが、その見せ方が上手いなぁと感じる。

グラフィック設定

DEATH STRANDINGは、先日のBlog記事にも記載したが、PC版は21:9という画面比率でプレイするこ都ができる。
私はフルスクリーンで3,440×1,440の画面でプレイする設定にしたのだが、このサイズだと画質は最高に引き上げるのは難しいかな、と思ったが、とりあえず今の段階では画質は最高画質に固定し、解像度はフルスクリーンで3,440×1,440ドット、リフレッシュレートは制限なしの上限240Hz、という設定を選んだ。
この画面サイズで画質だと、GPUメモリを相当に消費するかな、とも思ったが、どうもこの設定で4.4GBレベルのようであった。
思った程メビデオモリは使わないRadeon VIIはGPUメモリを16GB搭載しているのだが、利用できるメモリ量は15.2GBだが、それに対して4.4GBしか使用しない。3,440×1,440ドットの解像度でもこの程度しかグラフィックにメモリは使わないのだろうか?
通常、テクスチャーなどを大量に盛り込めば、メモリなどあっという間に埋まってしまう。解像度が高ければさらに表示に必要なテクスチャーが増えるので、メモリはどれだけあっても足りないはずである。
おそらくここで表示されているメモリ量は、標準的に使用するメモリ量の事を言っていて、都度、ストレージからデータを入れ替えながら利用するメモリ量を指しているのだとは思うが、せっかく上限が15.2GBと高いのだから、もっと使えばいいのに…と思うのだが。
ひょっとして、これはこの設定を開いている時のリアルタイムのメモリ量なのだろうか?
今度、違う場面でこの設定で確認してみようと思う。
ちなみにフレームレートだが上限を240Hzとしているが、私の環境は最大でも60Hzなので常に60Hzに張り付けばよいかな、という程度で考えている。だが、普通に考えれば3,440×1,440ドットの解像度で60Hzに張り付く事は考えにくい。実際今までも途中で40fpsぐらいに落ち込む事を確認している。しかも私はこのモニタの他にWQHDのモニタをセカンドモニタとして接続しているので、流石にRadeon VIIでも高フレームレートを維持する事は困難だろうと思う。

配達人の道は遠い

第2章で衝撃のストーリーを迎えた後、主人公サムは分断された都市通信を繫ぐ為に西に遠征に出る事になる。
簡単に言うと、ようやくココから自由に活動できるようになる、という事である。ゲーム開始から3~4時間後にようやく本作のメインに入る事になる。
といっても、まだまだ出来る事が全て解説されたわけではないので、この先も新しいアクションを説明しながらの展開になっていくだろう。特にメインストーリー以外の依頼がこれから出てくる事が予想されるし、今の段階だと敵との戦闘で反撃する術がないので今後は武器の取扱いも必要になるだろう。
できる事も、やる事もこれからどんどんと増えていくはずだ。
そう考えると、このゲームの総プレイ時間は大凡50~60時間といったところだろうか。
配達人の道は遠く険しい事は想像に難くない。本当に伝説の配達人になれるのだろうか?

とりあえずまだ始まったばかりなので、何とも言えない。
ただ、ゲームとして操作一つとっても、面白いぐらいに出来る事が多く、また荷物の重量配分を考えないと、その操作性にすら影響するというシステムは、とても洗練されていると思う。
そこに小島監督独特のストーリーが加わるのである。小島監督ファンなら名作と思うのは間違いないだろう。
ただ…私は昨今のゲーム業界の流れを考えると、このシステムが必ずしも名作と呼ばれるものとは思えない。

ゲームとは?

残念だが、ゲームは年々簡単になっていて、面倒な操作をなくしてしまうケースが多い。その面倒な行為が、ゲームの本質とかけ離れたものなら省略するのも解らなくもないが、最近はゲームの本質そのものの要素であっても、それすら省いてしまうケースが見られる。
この時思うのは、ゲームとは何なのか? という事である。
任天堂のレジェンドである宮本茂氏は、かつてNintendo 3DSに「STEEL DIVER」というゲームをリリースした。このゲームでは潜水艦が水中を進む際、慣性が働き上手くコントロールできない仕様にした。宮本茂氏はその操作の難しさ、上手くいかないものを上手く操作する事がゲーム性だとして、本作をリリースしたものと思われる。
かつて、ファミコンにも「バルーンファイト」という慣性が働くゲームがあったが、その再来というわけである。
普通に操作できる事が当たり前の時代の人からすると、何を言っているんだ、と思われるかも知れないが、上手く操作できないものを上手くコントロールする事がゲーム性である、というのは、ゲームクリエイターならほとんどの人が考えたことのあるギミックである。
しかし、この考え方も時代と共に受け入れられなくなってきたと言える。前述の「STEEL DIVER」の売上げは散々だったらしい。私はとても面白いゲームだと思ったのだが、イマドキの時代は、その慣性すらもオート操作で克服してしまう時代なのか、受け入れられなかったのである。
今回、私が購入した「DEATH STRANDING」にも、この上手く操作できないものをコントロールする、というギミックが搭載されている。荷物が重くてサムが左右にふらつくのを踏ん張る必要があるのだ。左に傾けばR2ボタンを、右に傾けばL2ボタンを押して、体勢を整える必要があるのだ。もしこの体勢が崩れてしまうと、背負っている荷物を周辺にぶちまけてしまうのである。
しかも重量によって慣性が働くので、急な坂を下ると勢いが付きすぎて体勢を崩してしまうので、L2ボタンとR2ボタンをおして踏ん張る必要がある。ここにも、操作の不自由さがあるのである。
私はこれをゲーム性と思うのだが、人によってはこの不自由さを受け入れられない可能性がある。
小島監督の作品は、息を止める操作とか、匍匐前進しなければならない操作とか、いろいろ面倒な操作がついて回る作品が多い。おそらく、その操作のめんどくささがゲーム性を確立している部分で、ゲーム特有の「必要なプロセス」だと私は思っている。
その「必要なプロセス」を必要と思わない人からすれば「DEATH STRANDING」も受け入れられないのではないかと思う。これは人の感じ方や考え方なので「必要なプロセス」を不要と感じる事を否定するつもりはないが、そもそも「ゲームとは何か?」を考えた時、私は小島監督がゲーム性としている部分を受け入れられないというのは、もったいないなぁと思えるのである。

また3~4時間しかプレイしていなが、DEATH STRANDINGは間違いなく小島監督のエッセンスが詰まった作品であり、私は楽しめる作品であるという事は理解できた。
これから先、まだまだクリアまでに必要な時間はかかるだろうが、一つ一つのプロセスを楽しみたいと思っている。
まだ、DEATH STRANDING未体験な人は、ぜひプレイする事をお薦めしたい。

 

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武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

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2 Responses

  1. ruser より:

    デスストは未プレイですが、思うように操作出来ないとか、面倒な操作が必要とかにゲーム性を見出すと言うのは、私はアリだと思ってます。
    慣れてくるとスムーズに動けるようになったりするので、上達を実感出来るし。
    某フ○ムのゲーム好きとしては、慣れるまで上手く動かせないなんて普通でしょ? と、思ってしまいます。
    格ゲーのコマンド入力等も簡単になり、キャラ全体で統一されたりもしているので、やはりそう言う時代なんですかねぇ。

    • アバター画像 武上 より:

      ソーシャルゲーム、つまりスマホで遊ぶゲームが大きな売上げを占める時代になったのが、最大の原因だと思います。
      もちろん、それが流行ったから簡単になったのではなく、スマホというフラットなタッチパネルで操作できるゲームに複雑なアクションを組み込んでも上手くいかない、だからゲームが進まなくなる、それでツマラナイゲームと判断される、という一連の流れが簡単な操作になっていった理由なんだと思います。
      メーカー側がこのような動きになったのに合わせ、ユーザー側もたくさんあるゲームの中からサッとプレイできるタイトルを選ぼうとなった時、操作が複雑だととっつきにくいというのもあると思います。ソーシャルゲームだと、腰を据えてプレイする、という間隔ではないので、これはもう両者の思惑の結果、操作が簡単になり、サクサク進められるゲームしか受け入れられなくなったのだろうと思われます。

      だから…というわけではないのですが、据置機では比較的操作が複雑だったり、難易度が高いゲームの評価の方が高いんですよ。
      ただ、全体のユーザー数を考えると、ソーシャルゲームユーザーの方が圧倒的に多いワケで、そうしたユーザーを取り込もうとして据置機でも簡単な操作のものが増えた、と私は見ています。

      この流れはおそらく今後も変わらないでしょう。
      XANADUのような難解さと複雑さをもったタイトルがもし今の時代に出てきたら、多分マニアしか受け付けないですよ(爆)

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