預金が減り続ける恐怖

母親が現在も入院中で、その費用ばかりが嵩んでいく…。

持ちこたえられるか?

5月10日に入院となった母親は、今現在もまだ入院中である。
その約一ヶ月前である4月6日に退院してきての再入院なので、実に落ち着きのない預金口座の入出金となっている。
というのも、入院費は母親の高齢受給者証で減額された金額が入院費として請求されるが、その入院費を補助するために民間の保険を活用していると、それらの保険補助を受けるためには支払った領収書が必要なので、少なくとも一度は請求された金額を支払う必要がある。
だから通帳の入出金は派手にお金が動き回っている事が一目瞭然。
しかも入院費以外のアメニティに係った票は別請求で来るので、そちらもQRコード決済の請求書払いなどで払っていれば、QRコードに紐付けたクレジットカードから請求されるし、兎にも角にもそれなりの額が動き回った口座取引を見るハメになる。
それが一ヶ月の間を置いて、再び発生するのである。
入念に支出などを書き留めれば自分の一ヶ月の必要経費がどれだけかはハッキリわかるが、ざっくりと頭で計算していると、こういう入出金が派手に行われているときは、その必要経費が実に見えにくい。
マイナスに陥っている可能性もありつつも、今はとにかく安定した状況になるのを待つしか無い、といった感じである。
ただ、ここにきて不安もある。
先日、5月10日から6月15日までの入院費を支払ってきた。その額16万円超という価格で、この額が一気に口座から消えた。また、この期間に必要としたアメニティ費用として25,000円も追加で支払った。
おそらく母親は7月上旬までは入院しているハズなので、あと1回、同じぐらいの額の請求が来るはずである。それまでは民間の保険補助が入金されない状態になるので、預金口座かに実に心許ない状況である。
…アメニティの支払いも追加されれば、さらに引かれるワケだが。

介護という現実と向き合う

実の所、まだ母親の介護保険の区分は明確になったわけではない。だが、病院側からは母親はもう歩けないという話を聞いていて、ベッドに寝たきりになる事は確定していた事から、介護保険の区分変更申請をするようにと言われていた。
要介護1という区分から変更という事で、病院側からは市の福祉課へ連絡がされていて、区分変更の申請はすぐに通り、既に市の職員が要介護者である母親の調査を実施した事も知っているが、具体的に区分がどれだけになったのか、明確には知らないのである。
ところが、介護を請け負う事業者のところには、大凡の区分は既に連絡されていたようで、そのケアマネージャーから、要介護4になるだろう、という話が市から出ているという話を聞いた。
要介護4となると、もう結構な重度である。
このように笑っていられれば良いが…
要介護者の介護と見守りなどを考えると、普通なら仕事などできる状態ではない。だが、それを介護保険を使って訪問看護師を依頼して介護してもらうという方向に持っていき、被介護者の生活を守る、というのが介護保険の一つの側面になる。
要介護4となると、大凡月に30万円くらいの介護保険料を得られ、その1割、つまり3万円が被介護者の負担となる。
ただ、介護保険が使えるものにしかこの金額は適用されないので、例えば要介護者の食事を私が用意できなければ、その食事に関しては介護保険の範囲外の話になる。
なので、私のザックリとした試算では、介護に必要な費用は月額7万円くらいにはなるだろう、と予測している。
コレ、なんとか月額5万円くらいにならないだろうか? と考えているのだが、この辺りはケアマネージャーと相談しながら、どのような介護プランにすれば良いのか等を検討して結論を出すしかない。
介護という現実を受け止めた時、自分がまず耐えられるのか、そして真っ正面からどのように向き合うのかが試される。
なので、稼ぎは大きい事に越した事はない。それがしみじみわかる話である。

生活環境を変える

これらの現実を見据えた時、私は今の住居から引っ越す事を考えねばならないのかもしれない、と漠然に考えている。
今の住居は、父親が生前会社をしていたところでもあり、余計な資材が自宅にあったり、既に不要になったような荷物がどっさりとある家なので、これらの処分なども考慮して引っ越す必要がある。
しかも…その父親が作った会社が、未だ休業という扱いで生き残っている。
有限会社という、今では作る事ができない組織なので、解散する時に株式会社のような枠組みで解散させる事もできず、もし引っ越すにあたって会社を解散させる必要がある場合、司法書士等に依頼すれば、それだけでも30~40万円かかるコースになる。
引越し業者(ゴミ廃棄を依頼できる業者)と司法書士あわせて70~80万円は覚悟する必要があるし、それらの試算は少なく見積もって、の話である。
これでは生活環境を変える前に自分が潰れてしまう。
せめて有限会社の解散だけでも、なにか助成される仕組みはないのだろうか?
まさしく親の負の遺産で私が窮地に追い込まれている。
…というか、借金返済も親の肩代わりなので、私の人生は親の為にあるようなものである。
冷たい言い方かもしれないが、背負わされる身としては、やりきりない話である。
月々の支払い額を考えた時、維持費をもっと安く抑える為には、少なくともこの引越しは必要不可欠になるだろうが、その引越しの為に必要な予算が問題になっていて引越しできない…まさに本末転倒である。

おそらく、私のような介護と親の負の遺産の板挟みという境遇になる人は少ないとは思うが、介護が目の前にやってくる、という人はこれからもっと増えていくと思う。
逃げたくなるような現実が目の前に迫ってくるが、慌てず必要な措置と受けられる助成制度を照らし合わせて、できる事をするだけである。
できない事はできない。
これは不変の真理であり、できない部分は何かで補うしかない。
ウチはたまたま母親の認知機能は悪くないので、会話もある程度まともにできるのが救いなので、母親には「できない事はできない。できる事しかできないから、迷惑を掛けているとか思わなくていい」と言い聞かせている。当人は子供に迷惑を掛けている事に申し訳なさを感じているようだが、問題はソコではないのである。
もし認知機能すらもままならない状態だと、介護という問題はホントに逃げたくなるはずだ。
だが、そうした事に付き合っていくしかない。
これが今の現代日本の一つの側面であり、その側面と隣り合わせになっているのが、格差社会である。

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武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

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