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閃光のハサウェイ

劇場で観たワケじゃない。内容が知りたかったのである。

Blu-ray

先日、知人が「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」を劇場で観てきたらしい。
その際、劇場で販売していたBlu-ray Diskを購入したとかで、観に行っていないなら、とそのBlu-rayを借りる事ができた。
…映画館に観に行ってもよかったのだが、私はこのコロナの状況で行くのを躊躇っていたのである。いや、映画館は換気されていてコロナの対策は十分に行われているという事は知っている。私が躊躇っていたのは、そもそも外出そのものを躊躇っているという事である。
なので、私は「シン・エヴァンゲリオン」も観に行っていないし、その他の映画にしても見に行っていない。ホントは「ファブル」とか観に行きたいのだが、もうほとんど外出そのものを状況から嫌っているところがあるので、コロナが終息すると自分が感じるまでは、こんな感じなのだろうと思う。
だが「閃光のハサウェイ」そのものは凄く気になっていて、冒頭15分ムービーなどもチェックしていた。
作画がユニコーンと同じような感じで、イマドキのCGっぽい感じがしないでもないが、動きはよかったし、観てみたいとずっと思っていた。
イマドキ風のオシャレなガンダムそんな中、ふとBlu-rayを借りることができたので、一気に見てみた。

小説版と劇場版

閃光のハサウェイという作品は当然の如く、原作本である小説が存在する。
だが、実はそこに問題があり、繋がりのある作品と関連して小説版と劇場版で設定がいくつか異なっているところがある。
そもそも原作となる小説版「閃光のハサウェイ」の前日譚とされているのは小説版「ベルトーチカ・チルドレン」で、この小説版「ベルトーチカ・チルドレン」は、劇場版「逆襲のシャア」のシナリオ第一稿をベースとして改訂されている内容になっている。
なので劇場版「逆襲のシャア」と「ベルトーチカ・チルドレン」で異なっている要素が後の小説版「閃光のハサウェイ」に引き継がれているので、違和感が出ている。
劇場版「逆襲のシャア」に登場していたチェーン・アギは、その作中でクェス・パラヤが駆る「α・アジール」を撃墜し、逆上したハサウェイがそのチェーン・アギが駆る修理中のリ・ガズィを撃墜する。なのでハサウェイ自身はニュータイプであるクェス・パラヤを撃墜していないものの、その死を目の当たりにするシーンがある。
だがベルトーチカ・チルドレンでは、ハサウェイ自身がクェス・バラやを誤射によって撃墜している。なので小説版「閃光のハサウェイ」ではハサウェイはクェスを死なせた事をトラウマとして背負っている。
今回の劇場版「閃光のハサウェイ」は、原作が小説版「閃光のハサウェイ」でありながらも、その設定の違いに関しては劇場版「逆襲のシャア」を汲んで制作されているという。
この辺りの作品展開が多すぎて、設定が一つに纏まらないというのは明らかに問題だとは思うが、それだけガンダムという作品がマルチメディア展開できるIPだという事を示している。

三部作

今の所、劇場版「閃光のハサウェイ」は三部作になる予定で制作されている。
その1作目が今回の「閃光のハサウェイ」なので、物語はものすごく中途半端な所で終わってしまう。
正直、観ていて何も完結していない…というか、始まったばかりのところで作品が終わってしまうので、不思議に思える部分が何もわからないまま消化不良で幕を閉じる。
原作の小説を読んでいればその後の話もわかるので、そうした不可思議な思いをせずにすむかもしれないが、この劇場版だけを観ている人からすると「何、コレ…」と思ってしまうかもしれない。
しかもあまり知らない人でも公式サイトを見ればハサウェイがマフティ本人である事がわかるので、作中のハサウェイの行動から、ハサウェイが何をどうしたいのかが見えてこない。
また、ギギ・アンダルシアが、何となくイメージとしてクェスに重なる部分があるという事は作中からもわかるが、コイツの存在自体が謎。少なくとも本作だけでは何が何だかわからないと思う。
なので、本作だけしか観ていない知識では、シナリオ的には完全に消化不良だと思う。
戦闘シーンはユニコーンの時のようなイマドキな雰囲気があって、見応えはある。ミノフスキーフライト機構を持つクスィーガンダムとペーネロペーの大気圏内の動きが異様に見えるが、異様に見えるという事のその事実が、リアルな戦闘を見せているとも言える。ただ、MSによる戦闘シーンは中盤以降の市街地戦と終盤付近のクスィーガンダムとペーネロペーの戦いだけなので、本作はMSのかっこよさとかを観る作品というよりは、逆襲のシャア以降の地球も相変わらず一部の特権階級の利権が生きている時代で、その中に生きる人々の群像劇、という体で観る方が良い作品だと言える。

おそらく、この作品がその真価を問われるのは第2作目以降になるだろう。
今はこの閃光のハサウェイが劇場版として動画になった、という事そのものを評価すべきではないかと思う。

機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ
http://gundam-hathaway.net/

 

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武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

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