今日、仕事を半日休み、病院に向かった。
母親の容態は昨日より悪くなっているような感じだった。
多分、脳の中心部の壊死が若干なりとも進んだのかもしれない。
右半身の都合が悪いというのは最初からの話だが、右足の動きがさらに悪く、自力で立つ事がかなり困難な状態へと進んでいた。
…脳梗塞の治療ってこんなものなのか?
私に若干の不信感が募った。
入院初日の、医師のあの歯切れの悪い物言いが、不信感の芽生えを促したと言ってもいい。
だが、最初に言われていた事を考えると、こうなるのも仕方がない話なのかもしれない。
「発見が2日遅れてるので…」
歯切れの悪い一言だが、明らかに手遅れな状態にある事だけは間違いがない。
ならば、ある程度進行するのもやむを得ない話なのか…。
そしてそんな母親を見て思う。
なぜに神様はこうも不公平なのか、と。
こんな話をしてはいけないのだが、脳梗塞になるのならば、母親でなく父親が発症すべきだったのだ。いや、私でもよかった…。
私の父親本人も自分が発症していれば…と言っている。
ウチの母親は父親の元に嫁いでからというもの、今まで生きてきた生活と全く正反対の生き方を強要された。
たしかに結婚したのだから仕方のない話ではあるが、もともと大きな家に生まれた母親は、いわゆる苦労知らずに育ってきた。
それが結婚してその次の日から母親は借金返済人生を歩むことになった。
本人は、こうなる事を全く予測しなかったと言っていた。
それからというもの、その人生は波乱に満ちたものだった。
いや、波ならばまだ上に上ることもあるが、そのほとんどが低空飛行な人生を突き進む事になった事そのものが、もう人生的に不公平と言わざるを得ないような気がする。
だが、そんな低空飛行な人生であっても、母親は多分私にはそんなに苦労させなかった。
実際、小さいときの私は苦労をしていない。バイトも高校の時に自分の興味本位で1度だけ。母親はバイトしなくてもいいと言っていたほどだ。
多分…いや絶対に母親はかなりの苦労をしていたに違いない。
私が11歳の時、今の父親と離婚した。ケンカ別れではない。父親が不用意に作った借金のせいである。
その状況下であっても私が苦労していないというのは、明らかにその裏で母親が苦労していたという事である。
私が18歳の時、父親から一緒に生活しようという話が浮上し、私は母親と共に今の土地に引っ越してきた。しかし、当然そこの暮らしも楽ではなく、そしてそれは今の生活を考えてみても楽とは当然言えない生活である。
要するに、ここまで苦労しなければならなかった母親が、今また試練にぶつかった事に、私は納得がいかない。
神のいたずらだったとしたら、その神は神ではなく悪魔なのかもしれないとすら思える。
私が苦労する事は何とも思わないが、体が不自由するのは母親であり、おそらく意識がある以上は母親は自分の体の都合で周りに迷惑をかけていると責任を感じる事だろう。
苦労の人生を歩んでいる母親が、今また不幸に突き進んでいる。
これを不公平と言わずして何というのか?
神様は間違いなく不公平だ。
…おそらく、私のこの言い分は純粋に個人的な自己中心的な言い分に違いない。
みんな平等に不幸を背負っている人生だとは思う。
ほとんどの人は「自分が絶頂に幸運だ」とは思わない。
神様が不公平だと私が言ったことに反論のある人は、今の私の心情を察していただければと思う。
とりあえず母親の容態はまだわからない。
もうあわてても仕方がない。
じっくりと対策を考えていこうと思う。
心中お察しします。
オイラの母も16年ほど前に脳梗塞を立て続けに2度なりました
一度めは入浴中に倒れて左半身が指一本動かせなくなり
医師からは「足は動かせるように成るかもしれないが、左腕は
あきらめた方が良い」と言われましたが
一週間後にはかすかに動かせるようになり、その後の
リハビリで特段の不自由は無くなりました。
脳内の出血が止まり、脳内に出た血の塊も引くのは
自然治癒で一週間前後なので、その位の時期が重要なのかも。
2度目は退院後2~3週間後で、薬の強さが原因でした。
薬はとてもデリケートな調合が必要らしく
強くても弱くても駄目です
退院後も数週間は特に注意されたい。
大変とは思いますが頑張ってください。
回復するようお祈り申し上げております。
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倒れたという事は急性だったという事かな?
だとしたら、その時は確かに危険だったかもしれないが、回復も早かったのかもしれないね。
でも一週間くらい待つ時間が必要だという事もなんとなくわかりました。
多少、救われました。
今は、血栓溶解療法(tPA)という方法もあるようで、多少なりとも以前から比べれば回復は期待できそうな感じもします。
とりあえず今は耐えることが肝要かな…と自分に言い聞かせて事後経過を見ていきたいと思いますm(_ _)m
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