今日は母親の見舞いには行かなかった。
正直に言おう。
行きたくなかったのだ。
あの姿を見るのがあまりにも不憫で辛い…ただそれだけ。
でも本当はそれが良くない事だという事は分かっている。
会いに行き、姿を見せ、脳に刺激を与える方がいいだろうという事は何となくわかる。
分かってはいるが、とりあえず父親が昼に病院に行ったため、私は行かなかった。
今日の私はと言うと仕事もロクに手に付かず、目の前にある見積もり図面をただ事務的に処理するだけ。
値段を付ける判断が付かないため、外注に丸投げして価格設定。
やる気のなさはこれ以上はないというぐらいテキトーになっていた。
そんなやる気のない状況下で何を考えていたかというと、脳梗塞という病気は一体どんな病期なのか?という事。
知っているようであまり知らない脳梗塞。
メカニズムは知っているが、治療はどうやるのか、投薬している薬は一体どんな意味があるのか等、脳梗塞を知る事が今は一番重要なのではないかと考え始めた。
情報収集しようにも、専門家に知り合いがいるワケでもないので、結局はネットで調べるしかない。
仕事から戻ってきてから、私はただひたすら検索しまくっていた。
脳梗塞は脳の血管が詰まったりする事で発症するが、どのサイトを見ても確実に言える事は、症状が出てから3時間以内ぐらいに治療できればほぼ問題ないという事であった。
ただ、その場合はおそらくは殆どが急性による脳梗塞であり、突然倒れて救急車で運ばれるような人であれば、この状況で助かる可能性があるという事。
しかし、ウチの母親のように徐々に体に変化が訪れる場合は、そんな3時間以内などという事はあり得ない。
ウチの母親はおそらく発症してから2日は確実に経過しており、脳内に既に壊死した脳細胞がある事も確認されている。
脳細胞は血流が止まると3時間~6時間で壊死するという事らしいから、倒れるような急激な変化でもないかぎり、殆どの人は発見が数日遅れるという事になるのではないかと思われる。
で、治療はというと、点滴による投薬によって血栓を溶解させ、血流を戻すという事が一般的なようで、今母親が行っている治療がコレに当たるのだろう。
おそらく死に至らなかった脳細胞が回復し始める頃に、ある程度の機能回復につながるのだろうが、2日というタイムラグと年齢がどこまでその機能回復に寄与するのか疑問である。
若い人の場合だと脳の回復も良いのかもしれないが、何分ウチの母親ぐらいの年齢になるとそういった所も期待できない。
ただ、ある程度の時間が必要だという事もわかった。
今はダメでも機能回復がちょっとでも起き始めれば、多少なり意識の反応が良くなるものと思われる。
ただ、ネットでいくら知識を得ても実際の不安はなくならない。
あの姿を見ているとホントにある程度復帰するのかという事も疑問に思えてならない。
医師は2週間の入院で検査とリハビリをすると言っていた。
もちろん、リハビリはその後も続くだろうが、回復する余地がどこまであるのかという疑問は尽きない。
多少、身体能力に後遺症が残っても仕方がないとは思うが、意識がはっきりしないという状態だけは回復して欲しいと思っている。
脳の障害である以上、それすらもハッキリとはわからないのだから、脳梗塞という病気は実に恐い病気だと思う。
私が慌てても仕方がないのは分かっている。
浅い知識を得たところでどうにもならない事も分かっている。
だから今は祈るしかない。
少なくとも一週間。
私があの姿を見ても耐えられる事を祈りたい。
そして耐えられる姿を見せて母親の回復を祈りたい。
神様は不公平。
不公平だから、たまにはコチラの願いを叶えてくれるかもしれない。
だから…神を信じない私が祈るのである。
こうして文章にしてしまうと感情が伝わり難いし、重みが感じられなくなるので自粛してました(少なくとも私の文章では)。
きっと家族全体がナーバスになっていると思いますが、頑張ってと伝えたいです。
…語彙が乏しくてやはり上手く書けません orz
返信
言葉は語彙で紡ぐものではなく、心で紡ぐもの。
どんなに着飾った言葉も、心が無ければ語路にしかならない。
私の文章を見てみるといい。
ただ語路が転がっているだけだ。
気持ちや重みが感じられる文章というのは、頭で考えず心で紡ぐ言葉の糸。
心が紡ぐから目では見えないし読むこともできない。
自然と行間に込められ、それが心に伝わるだけの事。
だから気にする事はない。
思うがままに紡げばいいだけの事だから。
返信