(function() {function signalGooglefcPresent() {if (!window.frames['googlefcPresent']) {if (document.body) {const iframe = document.createElement('iframe'); iframe.style = 'width: 0; height: 0; border: none; z-index: -1000; left: -1000px; top: -1000px;'; iframe.style.display = 'none'; iframe.name = 'googlefcPresent'; document.body.appendChild(iframe);} else {setTimeout(signalGooglefcPresent, 0);}}}signalGooglefcPresent();})();

のうこうそく

 ウチの母親が脳梗塞で入院した。
 突然のようで突然でない入院で、その発症は2日前の日曜日に遡る。
 土曜日の夜、ウチの母親は仕事から戻ってきて体の調子が良くないと言い出した。
 12日の土曜日は非常に暑い日だったため、暑さにやられたのかもしれないと本人も言っていたし、もともと厨房で働いている関係で私もそれを疑わなかった。
 ところが日曜日の朝になり、体の右手右足に力が入らないと言い出した。
 あまりにも不自由な感じだったため、私は救急病院である市立病院に連れて行ったが、当直の医師が整形外科専門だという事で診察できないと言われた。地方の病院とはいえ、何のための救急医療なのか…。
 母親はどうにも体的によくない感じのようで、せめて点滴だけでもしたいとの話だったため、とりあえず日曜日に診療している町医者に診てもらった。
 当然の事だが、精密な検査など出来ようはずもないため、このときはホントに点滴だけで帰宅してきた。
 思えばこの時もっと疑えばよかったのである。
 体の半身がオカシイという時点で脳を疑うべきだったのだ。病院に(たとえ夜間受付といえども)勤務していた経験のある私の最大の失策である。
 翌日、母親はまだ調子がおかしいという事で仕事を休んだ。相変わらず右半身に力が入らないと言っていた。ただ、しびれはないという事でそれも私を油断させた原因となった。
 その日一日を寝て過ごした母親だが、結局翌火曜日の朝にも改善せず、私はそのまま再び市立病院へと連れて行った。
 そしてそこで待ち受けていたのは、今にして思えば前兆のあった診断結果である。


 CTスキャンの入れ替えという事でCTスキャンが使えない市立病院。
 何とタイミングの悪い日に母親は発症したのだろうか…。
 とりあえずMRIで対応する事となり、約45分を費やして脳の撮影を行った。
 そして医師から伝えられたのは、どうみても脳梗塞の疑いがあるという事だった。
 市立病院は総合病院の看板を掲げているにもかかわらず、今は脳外科の診療を行っていない。
 なので近隣の病院である赤十字病院に連絡し対応してもらう事になった。
 撮影した脳写真と紹介状を持ち、母親を連れて一路河口湖へ。
 インターを降りたすぐ近くにその病院はあった。
 車の昇降にも体の不自由を訴える母親。脳梗塞という診断を聞いたショックもあるのだろう。
 考えてみれば、市立病院の医師の配慮も足りなかったのかもしれない。
 赤十字病院の受付に一連の話を説明すると、即座に救急対応で診察してくれた。
 だが、そこにいた医師も見た目にどうにものんびりした医師で、どうすればいいのかの説明に口ごもっていた。
 ただ、一つ分かったこと。それは発見が2日も遅れたためすでに緊急性は失われているという事。要するに…手遅れなのである。
 命に別状はない。
 だが、脳梗塞によって脳に相当のダメージがあり、もう完全復帰は閉ざされたと言っても過言ではない状況。
 話す事もできる。
 力は入らないものの、歩くこともできる。
 ただ…記憶の一部が既に混乱し始めている。
 だからあまりストレスをかけないようにと医師に言われた。
 だが…ウチは3人家族で残念な事に母親は我が家のライフラインである。
 何かの支払い等のやりくりがあった場合、それを唯一知るのが母親だ。
 だからストレスをかけない事の方が無理な話。
 既に我が家の財政問題は崩壊の危機に直面していると言っても過言ではないのである。
 今後、医師はより精密な検査と点滴による治療、リハビリを行っていくという方針を立てたが、果たしてそれでどこまで治療できるのか…
 今はまだ何も言えない状況である。
 神は私に再び試練を与えた。
 しかし…今回ばかりは私の一部のみを犠牲にして試練を乗り越える事ができないかもしれない。
 これは私の罪に対しての罰。
 だから最悪の想定をした場合、私は普通の生活の全てを棄てなければならない。
 もし、それが私に課せられた贖罪ならば、私の運命はそうなるように定められていたのかもしれない。
 ただ一つ思うこと。
 それは、結婚後に苦労しっぱなしの母親があまりにも不憫だという事である。

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

Share
アバター画像

武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

You may also like...

4 Responses

  1. 士之 より:

    今の医療問題がまさに浮き彫りになった形ですね。
    うちの父親が心筋梗塞になったときも、医師が不在とかで、病院を何件もたらい回しにされ、分からないからと点滴だけ打たれる始末。
    うちの父親の場合、長い時間をかけて血管がつまったため、血管が別ルートを作成して補助経路を作っていたので助かりましたが、突発性なら手遅れだったそうです。
    しかし、専門外といっても、医師としては基本医療の全てを通ってきているはず。
    とくに麻痺などの場合はすぐに転送する等の配慮がなかったのが非常に残念です。
    気が付くべき、とありましたが、こういう場合は素人はわからないもの。
    だからプロを頼ったんですから。
    そのプロは判断ができなかったという情けない結果でしたが。
    取り合えず、お母様は、現状でできる最良を、これから全力でとっていくしかないです。
    状況として大変かもしれませんが、家族でサポートしてあげてください。
    私から言えるのはこれぐらいですm(__)m

  2. 武上 より:

     日曜日に市立病院に行った際、当直医から「かかりつけの病院に行って欲しい」というような事を言われた。
     果たして、日本国民1億2000万人の内、かかりつけの病院がある人は何人いるんだろう?
     そもそも、普通に生活している人のほとんどはいつも病院にかかるような事態にはなっていないのだから、かかりつけの病院など持っていないはずだと私は思う。
     そして、そういうかかりつけの病院を持たない人の為に、救急病院が存在しているのではないか?と私は思うのだが、それは間違った考え方なのだろうか?
     ただ、私も一度は病院に勤務した身。
     今の病院がどのような状態にあるかはある程度は知っている。
     知っているから「診察できない」と言われた事そのものは驚きもしなかったし、やっぱりなという諦めもあった。
     問題はその後。
     そういう諦めがあったにもかかわらず、他の病院を当たらず、町医者に連れて行ってしまったことが最大の問題。
     判断が甘すぎたと言わざるを得ない。
     今のご時世、医師は患者やその家族からの裁判から身を守るため危ないと感じた案件には乗り出してこない。
     確かに医師の不手際などが問題になるケースがあるとは思うが、一部の過剰に反応する人々のために、医師が積極的に人命救助しないケースが多分に見受けられる。
     自分たちではどうにもできないから医師に頼むのであって、その医師に頼んだから全ては医師の責任になるという考え方が、今の医師不足下にある救急医療をより困難なものにしている。
     そんな一部の過剰反応者たちのせいで迷惑を被るのは、実はより理解を示している人々だ。
     変なところばかりアメリカっぽくなっていく日本は、確実に間違った方向に向かっている。
     果たして、この先日本の医療はこれでいいんだろうか?
     とりあえず我が家の状況はまだ闇につつまれて先が見えない。
     母親がどれだけ回復するのかもわからない。
     ただ、医師からはリハビリが想定より長くなるかもしれないと言われた事のみが事実。
     長期戦となると一番の問題は、我が家の財政である。
     せめて…我が家が借入れせずとも生活できる家であったなら、まだ救われる話であるのだが。

  3. ruser より:

    色々と大変だったみたいですね。特にたらい回しが。
    ガンと並んで多い脳梗塞、心筋梗塞は致命的な恐ろしい病気ですが、普段意識した事はありませんでした。でも、年齢的に私の親も人事じゃないんですよね…。
    早期治療が必要なだけにたらい回しされたのは厳しい…。病院の現状も分かるけど、やはり病院は患者第一であって欲しいと感じてます。
    でも、何十何百と診察していると病院というシステムに飲み込まれてしまうんでしょうね。
    私も入院は無いものの、何度か救急病院に行ったけれど、そこでの感想は…
    医者は患者の状況は気にするが、感情は二の次だという事でした。悲しいものです。
    早く武上さんの母親の容体が回復する事を願います。

  4. 武上 より:

     医師も人。
     結局はそこに尽きるのかなと。
     でも人だから情で動く事もある。
     少しだけ、そこに期待したいという甘さが、私にはあるのかもしれない。
     医師が不足しているから対応できないという現実もそうかもしれないが、医師が居ても対応しないケースもある。
     専門外だから診察できないと言うのがその理由だが、実際の所責任を負えないから診察しないだけの事。
     医師はたしかに専門を持つものだが、基本医療を習得しているのも事実。何しろ医師免許に専門は存在しないのだから。
     だからせめて診察をして、手に負えない状態の時には他の病院なりを紹介して欲しい。
     そう思う事は、いけない事なのだろうか?
     医師が不足している今だからこそ、そういったネットワークが必要な時代だと思う。
     薬は進化し、より治療しやすい状況は多くなる。
     であるならば、その治療への適切な判断が必要だ。
     不用意な過剰反応で医師の活動を妨げる一部の人々は、その辺りを認識してもらいたいものである。
     …ま、無理な話なんだろうが…

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


コメントは承認待ちです。表示されるまでしばらく時間がかかるかもしれません。

Desktop Version | Switch To Mobile Version